ヒカリエの開業

これまで、渋谷といえば、渋谷駅ハチ公前から、センター街、109、道玄坂、ハンズ、文化村などの繁華街、歓楽街、商業施設が入り混じった駅西側に人々が集中していました。

ビルこの春、渋谷駅東口前の東急文化会館跡地に開業した渋谷ヒカリエにより、特に青年層以上の年代を中心に、人の流れも、渋谷駅東側の宮益坂にも行くようになってきました。
宮益坂は元々から雑居ビルが多く、どちらかといえばオフィス街。
宮益坂上で青山通り(国道246号線)から分岐し、渋谷駅北側ガード下へと通じる坂です。
宮益坂上から東へ1ブロックも行けば、青山学院大学や青山劇場がある青山・表参道エリアと隣り合わせの地域です。

宮益坂上は五差路の交差点。
青山方面から渋谷方面へ向かうと、宮益坂上で、宮益坂下、渋谷駅南側ガード下へ通じる金王坂(青山通)、宮下公園、それに明治通り並木橋方面へと分岐します。
宮益坂を中心に、並木橋へ通じる道と宮下公園方面への道に囲まれた狭いエリアに、限られるため、これまでは殆ど目立たない存在でした。
宮益坂は、江戸時代には、神奈川県の大山阿夫利神社詣での道だった大山街道の最初の茶屋町として栄えたところです。

当初は富士見坂と呼ばれ、宮益坂上から遠く富士山が見通せた場所で、江戸名所図会にもその風景が示されています。
富士見坂が宮益坂となったきっかけは、江戸時代に、この辺りの町名が宮益町となったからですが、宮益坂となった理由は、宮益坂と宮下公園に通じる道の間に千代田稲荷という神社があったからで、これが現在の御嶽神社になります。

御嶽神社

御嶽神社は戦国時代末期の元亀年間創建で、当時この辺りは小田原北条氏の領土でした。
御嶽神社の狛犬は全国的にも大変珍しい日本狼で350年前の建立と言われれています。
この御嶽神社には松雄芭蕉の句碑があり、「眼にかかる時や殊更さ月不二」とあります。
さ月が五月、不二は富士のことで、当時の富士見坂を読んだ句として、富士見坂の面影を唯一残しています。

その御嶽神社と同時に例大祭を行うのが金王八幡宮です。
金王坂の青山通と六本木通交差点のやや六本木寄りに鎮座しています。
金王八幡宮は、渋谷の地名の発祥とも言われ、平安末期に創建されたふるい神社です。

とりわけ、現在NHKで放送されている平清盛のライバルで、源頼朝の父、源義朝にも所縁があり、源義朝に仕えた渋谷重家の子で、頼朝にも仕えた、渋谷金王丸の誠忠を偲び、頼朝により名付け植えられた金王桜は、今でも、高層ビルの合間ばかりに渋谷駅東側の春の名所になっています。

ロ・ラシェル

ところで、宮益坂エリアで、最も有名なレストランといえば、フレンチの鉄人ムッシュ坂井宏行氏の「ラ・ロシェル」渋谷本店です。
青山通金王坂を下り、金王八幡宮斜め前の青山通と六本木通が交差する角の高層インテリジェントビル32階に位置し、地上120メートルの高さから眺める都心の夜景を眺めながら、鉄人のフレンチをいただけるというもの。
都内各所に支店はありますが、ご本人が常時いらっしゃるのはここだけ。
ヒカリエ内のチェーン店レストランも悪くありませんが、やはり、宮益坂といえば、ラロシェルです。